2012年06月08日
情けは自分のためならず
どうも小さい頃から、ヒトのためにやったつもりのことが
私自身のためにやったことと誤解されるようなことが、
ちょこちょこあったのではないか、そう思えてきた。
いやいや、やったことが結果的に自分の思った通り
リスク回避になったり、お世話したヒトのためになったり、所属する組織のためになったり、
とある意味、確かにヒトのためになっているのだけれど。
なに自分だけ目立っとんねん、ヒトにええ顔したいんやろ、
というような見方をしはるお方が、いてはるんやね。
小学校の時いじめられるきっかけになったときも。
今の職場で、広報担当として知名度の低さを改善するため情報発信をテーマに、
自分の時間とお金を使ってあちこちの交流会やセミナーなどに参加し、
またそういったものを主催するようになったときも。
そうまでして前に出たいの、という視線は陰の噂を想像させるものでした。
そしてまた最近、所属するある団体にちょっとした仕事を紹介した際も。
依頼元と受け手にとってはスピードが大事と思い行動したところ、
どうも一段階とばしてしまったらしく、謝罪せよという連絡が来た。
あなたは依頼元に顔が立って良かったでしょうけど、と言われてしまった。
あっちのヒトとこっちのヒトに喜ばれ、私も嬉しい、で三方よし。
でも、もうちょっとやり方とか考えて、
四方よし、にならないといけないのでしょうかね。
一言説明が不足しているのかな。
まだまだ人生修行中で失礼しております。
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